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宮崎家庭裁判所都城支部 平成12年(家)142号 審判 2000年11月15日

申立人 宮崎県●●児童相談所長 A

事件本人 B

保護者・(親権者父) C

保護者・(親権者母) D

主文

申立人が事件本人を児童養護施設に入所させることを承認する。

理由

第1申立ての要旨

1  事件本人は、生後1か月から4歳6か月までの間に25回にも及ぶ入院歴がある児童で、原因不明の下痢や発熱のほか、時には生命の危険さえ伴うような敗血症を繰り返し起こしていたものであるが、平成11年10月18日、当時事件本人が入院していた○○大学医学部附属病院の医師から、事件本人の母親について「代理によるミュンヒハウゼン症候群」が強く疑われる状況にあり、事件本人の上記症状は母親からの虐待によるものであると考えられる旨の通告があった。

代理によるミュンヒハウゼン症候群(以下「MSBP」ともいう。)とは、「親が医療機関に子どもを連れて来院し、虚偽の症状を訴え、証拠を捏造するなどして検査や治療を要求する行為」とか、「母親が子どもの病気を捏造し、子どもを複数の医療機関に繰り返し連れて行き、子どもの病気の原因については自分は全く関与していないと言い張るという、一風変わった子どもの虐待の一形式」などといわれているものであり、上記医師によれば、事件本人の母親に関しては、<1>事件本人の下痢の量について過大な申告を繰り返していたことが明らかであるほか、性格的に多弁で虚言が多く、常に病院内のトラブルメーカー的存在として、多くの医療関係者に違和感を感じさせるような養育態度をとり続けていたこと、<2>事件本人については、同人が初めて転院してきた平成8年9月以降、あらゆる疾患を疑い、様々な検査や治療を尽くしたが、結局、器質的な原因は見出せず、確実な診断名は付けられなかったところ、その後、平成11年8月に母親を事件本人の付添いから外して母子分離を試みた途端、それまで4年間も続いていた下痢や発熱がなくなり、その後も約7か月間様子を見てきたが、事件本人は敗血症を一度も起こすことなく急速に元気になり、食事制限はおろか、何らの治療も必要でなかったこと、<3>そのほかにも、事件本人が起こしていた敗血症の原因菌として、腸管内細菌(便に存在する菌)が同時に数種類も検出されたことが何度もあることや、母親の付添い中、点滴の定量筒のゴム栓が不自然に外れているのが度々確認されており、事件本人が前に入院していた国立○○病院でも、点滴管内に異物(便)が混入しているのが確認されたことがあるなどの不審な状況が存在し、母親がそれらの事象に関与している疑いもあることから、MSBPが強く疑われるとのことである。

2  母親が虚偽の下痢量を申告し続けた結果、事件本人は、不必要な検査や治療を数年間にわたって繰り返し強いられてきたもので、下痢の原因検索及び治療のために絶食や厳しい食事制限が継続されていたほか、時には危険を伴う全身麻酔下での検査なども行われている。中心静脈栄養のリザーバー設置の手術と腸管粘膜の生検のために行われた全身麻酔の回数は実に5回にも及んでおり、事件本人の両方の鎖骨下には、痛々しい手術跡が残っている。

また、事件本人は、出生以来ほとんどの期間を病院内で過ごしてきており、長期間にわたって限られた環境下での生活であった。

3  事件本人については、前記通告を受けた宮崎県●●児童相談所(以下「●●児童相談所」という。)において平成12年2月16日から児童養護施設○○○の寮に一時保護委託をしており、事件本人は、現在、なお低身長が見られるものの、健康状態は良好で、元気に集団生活を送っている状況にあり、同児童相談所としては、母親に事件本人を監護させた場合、その福祉を著しく害するばかりか、生命の危険すら考えられることから、このまま上記施設への入所措置を採るのが適切であると判断しているが、両親はいずれも反対の意向を示しているので、申立人が上記措置を採ることについての承認を求める。

第2当裁判所の判断

1  記録上容易に認められる事実

(1)  事件本人は、別紙入院経過一覧表に記載のとおり、生後39日目に当たる平成7年8月27日に国立○○病院に入院して以来、同病院に15回、○○大学医学部附属病院(以下「○大病院」という。)の小児科に7回、同病院の小児外科に2回、国立△△病院に1回と、合計25回も入院を繰り返し、満4歳6か月時の平成12年2月16日に○大病院小児科を最後に退院するまで、その間のほとんどを病院内で過ごしてきた。

(2)  事件本人の当初の主な症状は発熱と下痢で、腸炎などの診断名の下に治療が行われたが、退院しても比較的短期間で(最短で3日、最長で57日後)再び入院となる状況が続き、その入院中に満11か月となった8回目の入院(平成8年6月1日~24日)の際には、厚生省指定の小児慢性特定疾患に該当する「低βリポ蛋白血症」との診断名が付けられた。

その後同年8月20日に11回目の入院をした際には、母親が訴えていた嘔吐、下痢及び発熱の症状が同年9月2日までの入院期間中ほとんど見られないということもあったが、その翌日には、難治性下痢と発育不全についての精査治療の目的で、初めて○大病院小児科に転院するところとなった。

(3)  同科では、入院時に水様下痢が頻回にあり、他の治療法による改善がないため、全身麻酔下にIVHリザーバーを皮下に埋め込んだ上、中心静脈栄養を開始する措置が採られたが、母親の申告によれば下痢の改善は見られず、その原因を検索するため、全身麻酔下での小腸粘膜生検や先天性糖不耐症の検査によって栄養吸収障害の有無が確かめられたものの、結果は否定的で、そのため同年11月6日からは離乳食が開始されたが、母親の申告によれば1日に30回以上の下痢が見られるとのことであったため、引き続き胆汁酸異常症の検査や上部消化管造影検査などが実施されたものの、結局、下痢の原因が特定されることはなかった。

(4)  事件本人は、その後平成9年1月22日に同病院から国立○○病院に転院してフォローを受けるようになったが、母親が申告する下痢量が改善される様子は全く見られず、同年3月19日までの入院期間中には、カテーテル・トラブルによるものと思われる感染症の兆候(発熱、下痢)が見られたほか、このころから敗血症を頻発するようになり、同年4月7日に○大病院小児科への3回目の入院をした直後には、血液中から敗血症起炎菌(皮膚常在菌)が検出されたため、中心静脈栄養中にありがちな敗血症であるとの診断の下に、一旦、IVHリザーバーが抜去された。

その後、同年5月2日には全身麻酔下にIVHリザーバーが再設置され、同月24日には再び国立○○病院に転院するところとなったが、この転院中には、前回の転院時と同様にカテーテル・トラブルが数回あったほか、同年7月4日に、点滴のチューブをジャクソンテープと称する伸縮性のテープで繋ぎ合わせて延長していた、そのチューブの繋ぎ目の部分から2cmほど事件本人の身体寄りのところに異物(便と思われる小さな固形物)が浮いているのが発見されるという出来事があった。

事件本人は、その直後ころから激しい敗血症を起こし、同病院で事件本人を主に診ていたA医師も「この子は死ぬ」と思うほど重篤な状態に陥ったが(その状況などから、同医師は、上記固形物が便の繊維質であったものと考えている。)、同月18日に○大病院小児科に転院して、緊急手術によるIVHリザーバーの抜去や、抗生剤投与による治療を受けた結果、同年8月21日ころには発熱もなくなり、同月27日に退院となった。

(5)  しかし、事件本人は、それから9日後の同年9月5日に再び国立○○病院に入院して敗血症の治療を受けるようになり、同年10月22日には血液中から敗血症起炎菌(腸内菌)が検出された。

その後、一旦は同年11月28日に退院となったが、それから31日目の同年12月29日には再び同病院に入院する事態となり、結局、平成10年5月18日に同病院からの最後の退院をするまで敗血症の治療が続けられたところ、その間の同年4月か5月ころ、母親が病室にいなかったため看護婦が事件本人のオムツを取り替えた際、その便の中に小さな錠剤が入っているのが発見されるという出来事があった。

事件本人は、同年5月18日に○大病院小児外科に転院し、前述の経緯で抜去されたIVHリザーバーの再設置を受けた後、空き病室がなかったことによる国立△△病院への一時転院を経て、同年7月7日に○大病院小児科に入院の上、引き続き敗血症の治療を受けた。この入院中には、入院時の検査で敗血症起炎菌(真菌)が検出されたためIVHリザーバーが最終的に抜去されたほか、免疫不全が敗血症の原因ではないかとの疑いから、免疫不全の検査が実施されたが、頻回の敗血症の原因となる異常は発見されなかった。

なお、この入院中にも下痢は継続していた。

(6)  その後、事件本人は、一旦は同年9月21日に○大病院小児科を退院したものの、同年11月2日には再び同科に入院し、母親から『虫刺部が異常に腫れる、全身が急に赤くなることがある』との訴えがあったことに加えて、難治性の下痢があり、更には血中ヒスタミンが高い値を示していたことから、「全身性mastocytosis」(肥満細胞症)の疑いにより、皮膚生検と腸管粘膜の生検が実施されたが、特に異常は認められなかった。

この時は同年12月22日に退院となったが、同月24日から激しい下痢、腹痛、嘔吐が出現して脱水症状を起こしたため、翌25日に再び同科に入院して(最後の入院)、麻痺性イレウスと敗血症の治療を受ける事態となったところ、上記のように事件本人の症状が悪化したのは、母親が同月24日にクリスマスケーキを食べさせたことによるものであった。

平成11年1月7日からは41℃の熱が見られ、敗血症起炎菌(腸内菌)も検出されたことから、抗生剤治療が実施され、感染症が軽快するとともに麻痺性イレウスも徐々に改善したが、その後、頻回に麻痺性イレウスを繰り返すようになったところ、その治療の関係で医師から絶食を指示されていたのに、事件本人の経鼻チューブから多量のリンゴジュースが出てくるという出来事があったが、それは母親が買い与えて飲ませたものであった。

(7)  ところで、まだ事件本人が国立○○病院に14回目の入院をしていた時期である平成9年9月16日、前記A医師から●●児童相談所に対し、気になるケースがあるので相談に訪れたいという電話があり、その翌日、同児童相談所において同医師の話を聴いたところ、事件本人に付き添っている母親の態度に不自然さが目立つので、母親から分離した形で経過を診てみたいが、よい方法はないだろうかという相談であり、母親の態度が不自然であることについては、<1>ほぼ一日中、病院内で過ごしているが、介護態度はなおざりで、虚言癖もあることから、病院のスタッフとのトラブルが絶えず、同病院だけでなく○大病院でもトラブルメーカー的存在となっていること、<2>その虚言の例としては、『自分は日本人とフイリピン人とのハーフで、カナダで17歳まで暮らしていたが、日本に来て長いので、英語はもう忘れた』などというもののほか、事件本人の便の量について明らかに過大な報告をしたり、事件本人が難病で余命が残り少ないかのように吹聴したりすることもあり、<3>また、事件本人の退院が近くなると不満そうになり、その後また事件本人の体調が悪化し、しかも、その悪化を嬉しそうな表情で報告しにくるということがしばしば見られているが、そのような経過の中で、前述の、点滴管内に異物(便)が混入するという事件が起こっていることなどが語られた。

(8)  これを受けて、●●児童相談所では、A医師を通じて児童相談所で事件本人の発達検査を行うといった形のきっかけを作って、事件本人をフォローしていくという対応をすることになり、同年10月23日付けで上記相談を「養護」の相談種別で受理することを決めるとともに、実際にも同年12月11日に事件本人と母親に来所してもらって面接するなどの指導活動を行い(なお、その面接の際、母親は、事件本人の下痢につき、最も多かった時は日に80回、量にして6kgもあったなどと明らかにオーバーなことを述べたほか、面接室に入るとすぐに、事件本人の体温調節機能が悪いからとの理由でエアコンを切るよう求めたが、後に国立○○病院に確認したところでは、それは他の患児にみられる症状で、事件本人にはそのような異常はないとのことであった。)、平成10年2月3日付けで「継続指導」の決定もしたが、A医師自身が体調を崩して○大病院に入院したりしたことや、事件本人については同病院の小児科でケアされていく見込みであることが判明したことなどから、平成11年5月10日に同科での主治医であるB医師と連絡をとって、事件本人の母親については他の付添人等とのトラブルが多いほか、その付添い中に点滴の蓋が不自然に外れていたりするので注意している旨を聴取した上で、同月18日に「継続指導終結」の決定をした。

(9)  B医師は、事件本人が平成8年9月に初めて○大病院小児科に転院してきて以来、その出生直後からの下痢や平成9年から度々起こすようになった敗血症は真実の病状であると考えており、同年9月以降に国立○○病院から母親の態度に不審な点が見受けられるとの情報が得られた後も、母親が故意に病状を作り出しているというようなことについては半信半疑であったが、母親の申告する下痢の量が明らかに過大であったため、平成10年11月にこれを実測したところ、母親が普段申告している量の4分の1から3分の1程度であることが確認されたことから、MSBP(代理によるミュンヒハウゼン症候群)の疑いを抱くようになり、母親の養育態度が、口ではしきりに事件本人のことを心配しているように言いながら、しばしば同人を一人だけにして数時問も外出したり、トイレットトレーニング等の基本的なしつけも全くしていないなど、非常に違和感を感じさせるものであったことなどから、他の患者等に迷惑をかけていることと病院側の指示を守らないことを理由に母親を説得した上で、平成11年8月1日から母親の付添いを停止して事件本人の経過を観察する措置を採った。

すると、事件本人は、母親が付添いをやめた翌々日から普通便を排出するようになり、食事制限をすべて解除しても下痢はほとんど認められず、発熱が見られることも非常にまれになり、敗血症は一度も起こさないなど、それまでの症状が劇的に回復するに至った。

(10)  その回復の様子を目の当たりにしたB医師は、母親の事件本人に対する虐待(MSBP)を疑わざるを得ないと判断するとともに、事件本人を普通に退院させても、また症状が悪化して入院する事態となることが予想され、最悪の場合には生命の危険にさらされることもあり得ると思われたことから、退院の見通しが立ってきた同年10月18日、●●児童相談所に対し、そのような事情であるので今後の対応を協議してほしい旨の連格をした。

同児童相談所では、これを受けて、事件本人の案件につき「養護(身体的虐待)」の相談種別で継続指導を再開することを同月26日付けで決定するとともに、母親に対する指導活動などを実施し(なお、母親は、同年12月13日には事件本人が「世界で5例目の難しい病気」である旨を述べたり、翌14日には事件本人が「世界で3例目の病気」であることが熊本に行ってようやく分かった旨を述べるなどしていた。)、その結果、平成12年1月11日には、母親から、「施設入所について家族で話し合ったところ、全員一致で施設入所を希望したい」との電話連絡を受けるに至ったが、その後、父方の祖父母は賛成しているが両親としては入所させたくないと思っているとの話もあったことから、結局、両親に虐待の告知をしてその認識をもってもらった上で施設入所の同意を得ることが必要であるとの結論に達し、同年2月16日にB医師からその旨の告知をしてもらうことになった。

(11)  同日、B医師は、まず父親だけに対して、平成11年1月以降における事件本人の発熱、下痢及び点滴の状況をグラフ化にしたものを使って、母親が付添いをやめる前後でその差が歴然としていることを示したり、自分だけでなく国立○○病院のA医師も、前々から母親の態度に不審なものを感じていたとの話をするなどして、母親による虐待が強く疑われる状況にある旨を告知したが、父親は、動揺した様子を示しながらも、考え過ぎではないかと述べて、どうしても施設入所に同意しようとはしなかった。

B医師は、次に母親を交えた席上で母親にも同様な告知をして施設入所に同意するよう話したが、母親は、B医師が話し終えても黙ったままで、しびれを切らした父親から「何か言うことはねっか」と小突かれた際にも、「疑われるのが分からない」と小声でつぶやいただけで黙り込んでしまい、その後同医師が、母親が申告していた下痢の量は医学的に明らかにおかしいことに言及すると、「便の量を多く書いていたのは認めます」と述べ、その理由を聞かれたのに対しては、「ちゃんと検査してほしかったからです」と答えたが、同医師が「あなたが虚偽の下痢の申告をすることで絶食や厳しい食事制限、更には全身麻酔での検査などを強いられるということは分かっていたはずなのに」と続けると、それ以上は答えずに、涙を流しながら俯いたままとなった。

B医師は、更に説得を続けた上で最終的な意思確認をしたが、両親とも施設入所には同意しない旨を述べ、同席していた●●児童相談所の職員が、結局は家庭裁判所の判断に委ねられることになる旨の説明をした上で、とりあえず本日から事件本人を一時保護することにしたい旨を述べたのに対し、父親が「分かりました」と答えたところで、その日の話合いは終了した。

(12)  事件本人は、このような経緯で、同日、○大病院を退院した上、●●児童相談所の職員によって都城市内に移送され、結局、同月22日から一時保護委託先の児童養護施設「○○○の寮」で生活するようになった。

事件本院は、現在、なお低身長が見られるものの、母親が付添いをやめてから退院時までに10.5kgから13.2kgへと急速に増加していた体重は順調に増加しているほか、他の入所児童が集団で熱を出した時にも事件本人だけは発熱しなかったこともあるなど、健康状態は良好で、長時間にわたり病院生活を送っていたことによるものと思われる若干の問題行動が見られはするものの、元気で集団生活を送っている。

一方、母親は、本件申立てがあった後の同年6月15日に突然一人で●●児童相談所を訪れ、相談室前で泣き崩れたりした後、虐待したかも知れないと述べたことはあるものの(その発言については、翌日に母親と一緒に来所した父親が、母親は自分が罪をかぶれば子どもを返してもらえると思って、そのようなことを述べたものだと釈明した。)、一貫して虐待の事実を否定する態度をとっており、父親も、前記告知の直後ころには(結局は同年2月21日に母親を通じてという形で)、同児童相談所の職員に対し『事件本人を虐待の危険から守るというのなら、姉(E。平成○年○月○日生)は保護しなくていいのか』との主張をしたり、平成12年3月2日に同児童相談所でその職員と面談をしていた際には、『もし点滴に便を入れたというのが本当なら殺人未遂だから、警察で徹底的に調べてもらっても構わない。何もやましいことはないんだから』と発言するなど、母親が虐待をしていたとは信じられないとしてその事実を否定する態度をとり、これに対し同児童相談所の職員が再三にわたりMSBPの詳しい説明等をしようとしたのにも応じないまま、事件本人の施設入所には同意できないとの立場をとり続けて現在に至っている。

2  問題点の検討

(1)  下痢量の過大申告について

母親は、本件での調査において、下痢の量について過大な申告をしたことがあるのは事実であるが、それは、看護婦がきちんと便を見てくれず、そのままでは医師にも伝わらずに中途半端に退院させられ、事件本人が殺されてしまうと思ったことから、そのような時だけに過大な申告をしていたもので、その頻度は大体3割くらいであるし、国立○○病院で下痢の回数を申告していた時には、1日に20回から30回と、オムツを替えた回数どおりの申告をしていたもので、過大には申告していないと陳述している。

しかし、同病院での主な担当医であったA医師(現・宮崎県立○○病院勤務)は、母親には下痢の回数を報告させていたが、日に30回から40回との報告がされていたもので、母親は後に事実の3倍から5倍の申告をしていたと述べたこともあり(看護婦が理由を問いつめたところ「家の仕事より病院のほうがいい」と答えた。)、過大な下痢量の申告は一時的なことではなく、常にそうであったと陳述しており、○大病院での主治医であったB医師も、母親には下痢量(オムツの重量を計るので便と尿を含む。)を申告させており、当初の申告量は医学的にあり得ない量であったものの(通常、体内の30パーセントの水分が失われると死亡するといわれているところ、事件本人の当時の体重は8~9kgだったのに、4~4.5リットルとの申告がされていた。)、基本的には母親の申告に任せてこれを記録してきたが、結局、その後の申告量も常に過大なものであったと考えられる旨述べているところ、これらの陳述内容等に徹すると、母親は、ほぼ常に下痢量を過大に申告していたものと認められる。

(2)  母子分離後の症状改善について

父母は、本件での調査において、母親が付添いをやめる前は2か月間毎日浣腸をしていたのに、その後は浣腸をやめたのだから、下痢が減るのは当然であるし、母親が離れる前の1か月間は2日間しか熱が出ていないことからしても、付添いをやめたから症状が改善したのではなく、それをやめたのが、ちょうど治りかけていた時期と重なっただけであるとの意見を述べている。

しかし、B医師によれば、確かに当時は麻痺性イレウス(腸が動かなくなる疾患)を起こしていたため浣腸を実施していたが、それは、平成11年8月1日に母子分離をして、それまでは水様便だったのが分離の翌々日から普通便が出るようになった後も、腸を動かすため予防的に同年9月3日まで続けていたので、浣腸をやめたことで下痢が消失したわけではない(その間は浣腸をしても同年8月6日に下痢が見られたほかは普通便が出ていた。)とのことである。

また、同医師によれば、事件本人は生まれた時から下痢をしていたと母親は説明していたが、もしそうであれば先天的に下痢を繰り返す子どもであると考えられ、仮にそうだとすると、下痢の症状は大人になっても続くはずで、母親を切り離した途端に治るというのは医学的に考えにくいことであるし、敗血症についても、これだけ頻回に起こしていれば、まずは免疫不全を疑うが、腸粘膜生検などでも免疫不全を疑うべき異常は認められておらず、下痢の場合と同様に先天的なものと考えたとしても、急に免疫力が高まるということは考えられず、あれほど頻回に起こしていた敗血症が(同医師に対する調査時までの)1年近くも起きていないのは説明がつかないとのことである。

さらに、A医師は、母親の行動にいろいろ問題があった(30名弱ほどいる国立○○病院の看護婦の誰もが同じ見方をしていることからして、おそらくそれが真実なのであろう)ことと、○大病院で母子分離後に急速に症状が回復したことからすると、母親がその症状を人為的に作り出していたものと疑わざるを得ないであろうと述べながらも、ただ、自分が提唱した「低βリポプロテイン血症」(低βリポ蛋白血症)の疑いがどうだったのか、B医師からも結果を知らされていないので、その点で釈然としないものが残るとの陳述をしているものであるが、さらに続けて、仮に事件本人が低βリポプロテイン血症であったとしても、敗血症の反復や母子分離後の急激な改善は医学的に説明がつかない(低βリポプロテイン血症は、学会発表によれば、3~4歳を過ぎれば落ち着くといわれており、ちようどその年代にあったのかも知れないとはいえるが、突然2~3日で治ることはあり得ない。)との陳述をしているところであり、以上によれば、上記父母の意見は当を得ないものであることが明らかというべきである。

(3)  母親の監護態度等について

父親は、母親が虐待をしていたとは信じられないとの認識を示しているが(上記1の(12)参照)、これは、日常的に母親と接していた中での印象による限り、母親がそのような人物であるとは思えないということに基づくものであると解される。

しかしながら、上記(1)で判断した下痢量の過大申告の件だけからしても、以下に述べるとおり、一種の虐待行為があったものと判断される。すなわち、その件に関する母親の弁解については、仮に看護婦がきちんと便を見てくれないというようなことがあったとしても、きちんと見てもらえるようにする方策をこそ講じるべきで、事実に反する申告が適切な検査や治療につながるものでないことは自明の理であることからしても、それ自体、極めて不合理で信用性に乏しいものというべきであり、上記過大申告は、そのように病状を実際よりも重く申告することで入院を長引かせたり、原因が容易に分からない難病に罹患しているものと判断されるような事態を引き起こそうという意図の下に行われたものか、又は、少なくとも、「虚偽の下痢の申告をすることで絶食や厳しい食事制限、更には全身麻酔での検査などを強いられるということは分かって」いながら、そのような結果になっても構わないという考えの下に行われたものと見ざるを得ない。そして、実際にも、その申告の結果として、環境が限られてくる入院生活が長引いたり、時には危険を伴う全身麻酔下での検査などまでが行われて過度の身体的負担を受けるといった事態が生じたことは、上記1で認定した事実から明らかというべきところ、これは、一種の虐待行為であるといわざるを得ない。

また、母親の監護態度には、度重なる入院の都度その付添いをするなど、一見したところでは「一生懸命な母」という印象を与えるものがある反面、以下のように、これと矛盾するような行動等も散見される。

<1> 上記1の(6)で認定したとおり、既に頻回にわたり下痢などのために入退院を繰り返してきている上、まだ2日前に退院したばかりであるのに、クリスマスケーキを食べさせて、更なる入院の原因を作ったり、その入院中には、医師から絶食を指示されていながら、リンゴジュースを買い与えて飲ませるなど、故意に症状を悪化させようとしたものではないにしても、本当に事件本人のことを心配していれば到底できないと思われる行為に及んでいる。

<2> 事件本人の病室にいる時でも一緒に遊ぶ姿が見られることは少なく、他の患児の母親が積み木で遊んだり、本を続んであげたりして、年齢相応の知能発達を心がけているのとは対照的であった(調査の嘱託に対するB医師の回答書による。なお、上記1(9)の事実中の養育態度に関する部分参照)。

<3> 検査や治療に対しては非常に積極的で、全身麻酔を必要とするような検査については副作用を心配したり父親の意見を聴いたりする母親が多いのとは対照的に、侵襲的で過酷な検査や治療についても、何らのためらいも見せることなく、すぐに同意していた(上記回答書及び本件での調査におけるB医師の陳述による。)。

さらに、前記過大申告も一種の虚言であるが、母親にはそれ以外にも多くの虚言例が見られ(上記1の(7)及び(8)参照)、同人の病院内での様子をよく知らない人に対しては、自分の子どもの命があと何日か、長くても数年しかない不治の病であり、自分がいかに悲しんでいるか、いかに愛情深く子どもを見守っているかということを盛んに述べたり、地元の生活情報誌に「難病を抱えた母」といった内容の投稿をするなどの言動も見られる(上記回答書及び本件での調査におけるA医師の陳述による。)ところ、以上のような母親の性格ないし行動傾向は、これまでに報告された「代理によるミュンヒハウゼン症候群」の母親に見られる性格等と重なる部分が多く、この点からしても、父親の上記認識は一面的なものであって、母親の姿を正確に捉えたものではないと考えられる。

(4)  その他の疑わしい状況について

<1> 点滴管内に異物(便)が混入していた事件について(1の(4)及び(7)参照)

母親は、本件での意見書において、上記事件の発生状況につき、事件本人が突然オムツの両協から便が吹き出るほどの下痢をしたので慌てて、点滴のルートをずらそうとしたものの、既に便でルートが汚れていたため、すぐに看護婦を呼んだが、看護婦は、ゆっくりとやってきて事務的にルートの消毒をしただけで、ルートの交換を求めても応じてくれなかったところ、直後にふとルートを見ると、その中に茶色の異物(固形物)が混入しており、結局、それは消毒液であって心配することはないとして医師を呼んでくれなかった看護婦と口論となり、大声で「A先生~」と叫んだところ、たまたま通りかかったA医師がきてくれたので事情を説明したと述べており、A医師も、本件での調査において、たまたま事件本人の病室を通りかかったところ母親に呼ばれ、「点滴に何か浮いている」と言われたので、よく見てみると、チューブの繋ぎ目から2cmほど身体寄りの部分に黄色い固形物が浮いており、母親の説明によれば、『事件本人のドロドロの下痢便にチューブの繋ぎ目が浸かったので看護婦を呼んだところ、看護婦が繋ぎ目を消毒してその部分のテープを付け替えたが、その後、チューブ内に何かがあるのに気づいたので看護婦に尋ねると、消毒液だと言われた』とのことであったと陳述している。

しかし、A医師は、同時に、チューブの繋ぎ目が便に浸かっただけでは内部に便が入り込むことはないし、その繋ぎ目の部分のテープ(前認定の、ジャクソンテープと称する伸縮性のテープ)をはがしても、それだけで便が入ることはないが、更にその繋ぎ目(チューブの結合部)自体を外して消毒したとすれば、そこから便が入り込んでしまう可能性はある旨の陳述をしているところ、上記結合部を外せば点滴の輸液が漏れるなどして、そこに付着している便がチューブ内に入り込むおそれがあることは、一般人でも容易に推測し得るところであるから、ましてや、仮にも看護婦をしている人が消毒の途中でその結合部を外したというようなことは、余り考えられないことであるといわなければならず、この点に、国立○○病院のC医師が、点滴のルート接続部が便に落ちただけで便が混入することはなく、接続部が外れて便に浸からないと便は混入しないが、その確率は極めて低いところ、点滴の三方活栓から便を入れることは簡単にできる旨の陳述をしていることなどを総合すると、この異物混入事件については、母親の意図的な行為によるものである可能性が高いものと認められる。

<2> 上記事件のほかにも母親が故意に敗血症を引き起こしていたのではないかとの疑いについて

B医師は、本件での調査において、事件本人が頻回にわたって起こしていた敗血症のうち、IVHリザーバーから皮膚常在菌が感染したものは通常起こり得ることなので理解できるが、それ以外の分のほとんどが腸管内細菌によるものであり、しかも、一度に数種類の腸管内細菌が何度も検出されているのは理解に苦しむことであり、この点に、○大病院への入院中にも点滴に使用する定量筒のゴム栓(そこから注射針を刺して必要な薬品を注入するためのもので、外したりすることはないし、通常の操作による限り、めくれたりするはずはないもの)が不自然に外れたり、めくれていたりしたことがあることや(ただし、これについてはカルテに記載がなく、正確な時期及び回数は不明)、母子分離後には全く敗血症が見られていないことなどを考え併せると、母親が点滴に何らかの細工をして敗血症を起こさせていたのではないかとの疑いをもたざるを得ないと陳述している。

これに対し、母親は、事件本人は点滴をしていない退院在宅時にも敗血症を起こしたことがあるとして、具体的には、A医師が○大病院に入院していたころ(同医師の陳述によれば、平成9年10月から平成10年3月までの間)、国立○○病院を一旦退院して1か月くらい通院していたが、検査もろくにしてくれなかったので、都城市内の○○小児科にも通院したところ、2~3日目に激しい敗血症であると言われたとのことや、検査の結果待ちで○大病院がら一時帰宅していた平成10年12月24日に、乳製品等を食べさせることは禁じられていたが事件本人が食べたがったので、生クリームのケーキを食べさせたところ、暴れ回るくらいの腹痛を起こし、結局、翌日に同病院に入院することになったが、その入院当日か翌日にB医師から検査データに基づいて敗血症と言われたとのことを陳述している。

しかし、母親が述べている前者のケースについては、同時に、○○小児科において点滴をしてもらった旨の陳述がされているところであるから、上記疑惑を晴らすようなものではないことが明らかであるし(なお、このケースは、国立○○病院に15回目の入院をする直前の出来事と解されるところ、その1回前の入院の際にも一旦退院していた状況で同病院に入院して敗血症の治療を受けているが、その入院の時点で既に敗血症を起こしていたものと断定し得るだけの資料はない。)、後者のケースについては、上記1の(6)で認定したとおり、その入院から約2週間後の平成11年1月7日から41℃の熱が見られ、敗血症起炎菌(腸内菌)も検出されたことから、抗生剤治療が実施されたという経過からして、入院当日かその翌日に敗血症と言われたとの陳述自体が疑わしいといわなければならないところであり、結局、B医師が指摘する上記疑いについては、確証があるわけではないが、逆にその疑惑を否定するに足りる事実も認められないものである。

<3> 母親が故意に下痢を誘発していたのではないかとの疑いについて

また、B医師によれば、あらゆる疾患を疑った検査にもかかわらず原因が特定されなかった下痢が、母子分離後、急速に見られなくなったことからすると、母親が何らかの方法で下痢を誘発していた可能性が考えられるとのことであるが、同医師自身も確証はないと述べており(便と尿のサンプルは保存しており、下痢等が含まれていないかどうかを調べることは可能であるが、下痢を誘発する物質は非常に多いので、実際に分析するとなると大変な作業量になり、相当な時間と費用を要するため、まだ検査はしていないとのことである。)、これは疑いの域を出ないものである。

なお、上記1の(5)で認定したとおり、事件本人の便から錠剤が発見されたことがあるので、それが、もしかすると下痢であって、母親が飲ませたものではないかとの疑いも存するわけであるが、その錠剤を確認したA医師の陳述によっても、見つかった錠剤の分析を依頼しようと薬局に行ったが便にまみれているので難しいと言われたため、分析はしなかったし、その錠剤は現在では残っていないとのことであるので(なお、同医師によれば、それが見つかった際に母親を問いつめたが、何も答えなかったか、あるいは「下痢が治らないので、自分たちが使っている下痢止め薬を与えた」というような返答であったように思うとのことである。)、この疑いは単なる推測の域を出ないものである。

(5)  虐待の告知後における両親の対応について

以上のとおり、具体的な手段方法の点までは明らかでないものの、長期間にわたり事件本人の診療に携わってきたA医師とB医師の二人ともが、母親がその症状を人為的に作り出していたものと疑わざるを得ないとの見解を示していることのほか、前記過大申告の関係では明らかに一種の虐待行為があったものと認められることなどからして、母親による虐待(MSBP)が極めて強く疑われるところであるが、これはいわば過去のことであって、最も重要な問題は、今後いかに事件本人の監護養育に取り組むのかという点であるところ、例えば、母親が自分の養育態度に問題があったことを認めて真摯に反省し、態度を改めると誓ったり、父親も、母親の問題性を正面から受け止めた上で、今後は積極的に母親をサポートしていく旨を誓約するなどのことがあれば、申立人が、「保護者に監護させることが著しく当該児童の福祉を害する場合」(児童福祉法28条1項本文)に該当するものとして、本件申立てをするような事態には至らなかったとも考えられる。

しかし、虐待の告知後における両親の対応が上記のようなものでなかったことは既に認定したとおりであり(上記1の(12)参照)、殊に父親については、その心中には相当複雑なものがあるにしても、MSBPの疑いという重大な問題を有する母親をもつ子どもの父親としては、はなはだ心もとない限りの対応ぶりであるといわなければならない。

3  結論

以上によれば、本件においては、上記法条所定の要件が存するものと認めるのが相当であり、他にこの判断を左右するに足りる証拠資料は存しない。

第3結語

よって、本件申立ては理由があるから、これを認容することとして、主文のとおり審判する。

(家事審判官 小田幸生)

別紙 入院経過一覧表<省略>

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